2007
07.07

星座的历史(2)

阿拉伯的传承
终于,希腊、罗马的文明开始衰竭,欧洲迎来了中世纪的暗黑时代,在阿拉伯,墨罕穆德创立的伊斯兰教开始兴旺,形成了强大的势力,他们遵从圣 书<可兰经>的教导,每征服一方土地就会把当地的文化整理解释并吸收如自己的文化,这样,各种各样的文化受到了伊斯兰圈的保护,为历史做出了 重大的贡献.其中天文学,为了让各地的朝拜者都可以准确的朝向伊斯兰的圣地麦加进行参拜在实用化方面得到了发展,也受到了历代帝王的重视.
阿拉伯将希腊的天文学原封引入自己的文化,乌多西奥斯(Eudoxos)的名著<星空>也被翻译为<阿拉伯骑士>中拉西德王等的形象登场,并继承在阿拉伯文化中.

之后,又从新流入近代的欧洲,所以流传至今的星座名称中也有不少是阿拉伯人的命名.

追加的新星座:

阿拉伯将乌多西奥斯的48星座使用了1500年,直到17世纪,德国律师天文学者约翰·巴耶又在其基础上新添加了12个星座
随着大航海时代的到来,走向南方的航海家们将见到的珍禽异兽给予了新星座的命名,比如巨嘴鸟座,风鸟座,变色龙座等等,追加到了一直处于空白状态的南半球天空.

对这些星座做成有这杰出贡献的是荷兰僧人弗拉德连,之后是成为了加尔文主义(基督教新教加尔文宗)神学者的贝特尔斯布朗琼斯,他是非常优秀的地理学者, 地图编辑者,为了观测南半球的星带领弟子肯撒,霍德曼等跟随荷兰的船队观测了南天的星空,并于1598年首次在自做的天球仪上描绘出了南天12星座的雏 形.

巴耶则是在收集了这一系列这样的相关资料后,以它们为基础于1603年正式将南天星座发表于他著作的<星图>中.

[日本語ver]

アラビアに受け継がれ

やがてギリシアやローマの文明が衰え、ヨーロッパが中世の所謂暗黑時代に入るころ、アラビアではムハンマッドが現れ、イスラム 教が勃興、強大な勢力となっていった。彼らは聖典<コーラン>の教えに従い、征服した土地の文化を整理し解釈し て自分たちの文化に吸収した。こうしてさまざまな学問がイスラム圏で保護され、大いに奨励されることになった。なかでも天文学は、イスラム 教の聖地メッカを礼拝するため、それぞれの地方からの正しい方向を知るための実用上の重要さもあって、歴代の王たちによって大切にされることになった。

そのアラビアには、ギリシアの天文学がそのまま入りこみ、プトレマイオスの<アルマゲスト>がアラビアン・ナイトに登場するラシード王らによって翻訳され、受け継がれていくことになった。

そして、それが後になって近世ヨーロッパに再び流れこむことになったため、今に伝えられる星座や星の名前にアラビア名が多く残されることになったわけ。

追加された新星座たち

アラビア経由のプトレマイオスの48星座は、そのまま1500年もの間使われてきたが、17世紀になって、それに12もの新しい星座がドイツの弁護士ヨハン・バイヤーによって加えられることになった。

所謂大航海時代の到来によって、南方への航海で知られるようになった珍しい動物名の星座、カメレオン座などが、これまで星座のなかった空白の南半球のそらに追加されることになったから。

これらの星座作りに貢献したのは、オランダのフラドルの僧で、後にカルビン主義の神学者となったペトルス・プランキウスで、彼は優れた地理学者、地図製作者だったが、南天の星を観測するために、弟子のケイザーやホウトマンをオランダの船隊に乘船させ、南天の星々の観測をさせた。そして1598年に自分が作った天球儀上に”南天12星座”をはじめて描き出したといわれる。

バイヤーは、それらの資料を基に1603年に著した彼の美しい星図中にこれら南天星座を正式に納め、発表したというわけ。

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